お知らせ(新着情報) 塩高アーカイブス

◇学校寮(大菩薩寮)~塩高アーカイブス~

学校寮の設置から焼失まで(1967~1984)

開校11年目(1967昭和42年7月1日)学校寮(大菩薩寮)が設置された。所有者はPTA。

第2回校内強歩大会(昭和47年度)学校を出発し男子44㎞コースの折り返し地点となったありし日の学校寮(だいぼさつ13号、だいぼさつ25号)

 当時、県内の高校では生徒向けの研修会が学校寮や同窓会館を使い実施されていた。本校ではPTAのご支援を得て、旧塩山市落合地区の塩山市一ノ瀬高橋538番地の新築間もない木造二階建て土地付きの民家を購入。一階を男子、二階を女子が宿泊できるように、また台所を50人分の食事を調理できるように改装。一学期はリーダー研修会、HR研修会、夏休みはHRのレクレーション、部活動の合宿、PTA役員研修などが行われた。秋には校内強歩大会の検問所として利用された。

第2回校内強歩大会(昭和47年度) 男子折り返し地点の様子(図書館所蔵アルバム)

 寮では生徒が協力して食事をつくり、夏の夜はファイヤーストーム、肝だめし探検など体験活動に活用された。その後、社会教育の専門施設が県内各地に整備されたため学校寮の利用は減少し、昭和56年(1981)の夏を最後に閉鎖された。閉鎖後の建物管理は、地元落合地区の古屋氏(元PTA会員)が引き受けてくださり、職員が年に1~2回の戸締まり点検や清掃に訪れていた。

学校寮と古屋氏宅 地図を右側に東進すると東京都水道局落合出張所に至る「ゼンリン住宅地図 塩山市」1983年版84頁(県立図書館所蔵)

しかしながら、学校寮の設置から17年目の昭和59年6月17日(日)午前10時前に現地から学校寮が焼けているとの電話を受け、職員が現場に到着した時にはすでに全焼していた。警察と消防によると電気系統に異常ないことから、原因は不審火とされた。

1984昭和59年6月 焼失した学校寮(だいぼさつ25号)

 学校寮は、校内では得られ難い学びの機会を提供し、かけがえのない思い出を与えてくれた施設だった。ここに当時のPTAをはじめ関係各位のご尽力に心から敬意と感謝を申し添えたい。

(1967昭和42年度だいぼさつ8号20頁、1972昭和47年度だいぼさつ13号85頁、1984昭和59年度だいぼさつ25号85-87頁を参考に編集)