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◇校旗制定樹立式~塩高アーカイブス~

校旗制定樹立式
 昭和33年2月5日(水)、木下県教育長、成沢塩山市長、荻原県議その他来賓の祝辞に続き、広瀬勝馬校長が覆いを取ると新調された校旗が燦然と光輝いた。このとき若月巴氏(全日制初代PTA会長)のご好意で数十羽の祝いの鳩が一斉に舞い上がり、数百個の風船が大空に放たれた。校章及び校旗図案者の日川高校町田茂雄教諭(後の本校教頭及び第6代校長)に感謝状が贈呈され、町田先生からご挨拶をいただいた。

町田先生(最前列右から4人目)・三沢教頭(同6人目)(2回卒業アルバム)

 本校の開校準備が進められる中で、当時塩山市教育長の三沢元貫先生(本校創立時から教頭を兼務)が、絵画の専門家でもある町田先生に校章の図案化を依頼された(第30回同窓会だより10頁)。

町田先生からご挨拶をいただく(2回卒業アルバム)

 塩山は、恵林寺、雲峰寺、神田神社など甲斐武田家にゆかりが深い。四つの菱がしっかりと石垣のごとく組んで一つの菱を形づくる武田菱(四つ割菱)を背景に「髙」の字を組み合わせたデザインが校章の由来。また、男女共学を意識して、武田菱の直線は強さ(男性)を、「髙」の曲線は柔かさ(女性)を表現。色彩は、金糸で陽を、銀糸で陰を表して対を成す。スクールカラー(校旗、校名旗の地の色)は古代紫。紫は、情熱の赤と知性の青が調和した色、山紫水明の紫であり、甲州特産の葡萄(ぶどう)にも通じる(だいぼさつ7号3-4頁)。

(創立50周年記念誌7頁)

 町田先生のご挨拶の結びの一節は次のとおり。

 「私は、諸君のために校旗をデザインいたしましたが、それが今立派に出来上がってまいりました。仏像を造って魂を吹き込むとか、竜の画を描いて最後に瞳を描き入れてはじめて生彩のある竜となるとか言われておりますが、校旗もまたそれと同様、まことの塩山高校の校旗とするためには、これに、塩高魂を吹き込まねばなりません。それは誰がするのか。外ならぬ諸君であります。諸君と諸君の後輩であります。

町田先生のご挨拶(1回卒業アルバム)

私は、校旗の形だけは考えましたが、これを立派な校旗にするかしないかは、これからの諸君の行動が立派であるかないかにかかわっているのであります。しかもそれは、一朝にしては成らず、長い年月を要するのであります。どうか諸君、将来、胸を張って、自他ともに仰ぎ見るような立派な校旗にするために、一段と精進努力されることを祈ってやみません。(だいぼさつ7号3頁)」

 なお、町田先生は定年退職後も、峡北高校校章のデザインを手掛けられたり(北杜高創立百周年記念誌117頁)、塩山市教育長としてその手腕を振るわれた(第30回同窓会だより10頁)。

制定式後 左から池田、町田、原田初代校長、曽根の先生方(だいぼさつ6号)

  全校生徒を代表して、鈴木広昭生徒会長(商業科第1期生)が次のとおり宣誓をおこなった。

「宣誓 本日茲(ここ)に本校校旗制定樹立の式典にあたり我々塩山高等学校生徒一同は学徒の本分を全うし健全なる心身の鍛錬に努め輝かしき校風を培い以って栄誉ある校旗を護持することを誓います」

栄えある校旗を掲げて整列(1回卒業アルバム)

校旗を護持して退場する全日制初代生徒会役員(2回卒業アルバム)

 披露後、市役所の自動車をオープンにして先発、プラカードのあと校旗を先頭に全校生徒が市中行進に出発した。

「塩山商業高校同窓会会報(創立10周年号)」・「だいぼさつ(6号・7号)」・「第30回同窓会だより」・「北杜高校創立百周年記念誌)」を参考に編集