お知らせ(新着情報) 塩高アーカイブス

◇(商)1回(普)3回卒業式~塩高アーカイブス~


商業科第1回・普通科第3回卒業式
 昭和34年3月3日(火)、商業科秋山堯宣君他132名の卒業証書が総代古明地幸勇君に、普通科相沢孝治君他39名の卒業証書が総代荻原辰夫君に広瀬勝馬校長から授与された。卒業生総代日原盛正君の読む答辞に会場は寂として声なく万感胸に迫るものがあった。答辞の内容は次のとおり。

(商)第1回(普)第3回卒業式  (2回卒業アルバム)

「答辞 昭和34年梅薫る3月3日。この佳き日にあたり、多数来賓各位のご臨席を得まして塩山高等学校商業科第1回普通科第3回卒業証書授与の式典を挙行せられ、私共173名に対し、ただ今校長先生より卒業証書を授与せられましたことは、私共の人生の旅路の中で終生忘れ得ぬ感激の楽譜であり、異彩に輝く画面でありまして、時に我らが心を叱咤激励(しったげきれい)し、また、時に恵康慰撫(けいこういぶ:心に安らぎを与える)してくれるに違いありません。

昭和31年4月15日 第1回入学式(創立30周年記念誌)

顧(かえり)みますれば私たち190名余が嬉々として桜花咲きほこる校庭において開校入学の盛典に席を列ね温情と祝福とに満たされたあの佳き日、嵐のごとき激励と期待の言葉に胸中燃え上がる希望と理想に頬を染め瞳を輝かせたあの感動のルツボ。

第1回入学式 原田校長の音頭による万歳三唱(図書館所蔵アルバム)

『僕たちは第1期生として光輝ある校風を創るのだ。産業経済開拓の一員として実社会に雄飛するのだ。師弟一体となってこの大願を成就するのだ。』これぞ期せずして盛り上がった全員の合言葉でありました。(中略)

(商)1期生3年次の授業風景(1回卒業アルバム)

定時制ホームルームの様子 *(普)3回生の写真不明のため定(商)1期生の様子を掲載(定2回卒業アルバム)

体力増進のため開校初年度から集会時に毎回行われたラジオ体操(4回卒業アルバムより掲載)

雨しきりに降れば教室に水滴の落ちるを憂え、あるいは風強く吹き暴れれば家鳴り震動におびえて先生の叱声にも心は宙に浮いて授業も全く身につかなかった日も幾日あったことでありましょう。

古くても清掃が行き届いていた校舎  写真は週番交替の様子(2回卒業アルバム)

私たちは第1期生であったが故に嫌応なしに味わねばならなかった校舎校具の不備のためにある時は怒りに震え、ある時は淋しさに泣いてその宿命を嘆いたのでありましたが、今やそれらの数々はかえって深い懐かしみの源泉となり滋味あふれてほのぼのと私たちの心を温めてくれています。

用具不足を乗り越えて活動する商1期生の授業風景、後方では男子がラグビーに取り組む(1回卒業アルバム)

皆様、この気持ちがご理解いだだけるでしょうか。私たちは更に第1期生でなければ味わうことの出来なかった世にも珍重すべき幾多の体験を大いなる誇りを以って思い浮かべております。

(商)1期生2年次関西方面修学旅行(5泊6日) 清水寺 (1回卒業アルバム)

開校初年度から始められた弁論大会 第1回は塩ノ山頂上で開催 写真は昭和32年度第2回(於恵林寺)の様子(PTA会報18号)

後に塩高名物となる体育祭での仮装行列(1回卒業アルバム)

校歌発表、校旗樹立の盛儀はその雄たるものでありましたが、その他旅行、弁論大会、学園祭等々あらゆる行事は第1回の呼称で行われ、その都度計り知れぬ喜びと誇りに満ちた感激は今なお新たに追憶の泉は滾々(こんこん)として奔流(ほんりゅう)のごとく尽きるところを知りません。(後略)」

「塩山高等学校PTA会報第1号,同18号」「塩山商業高校同窓会会報(創立10周年号)」を参考に編集